生命は神から来たものであり、本心は、生命を、神から来たそのまま素直に、この人生に生かしきろうとして働いているのであって、本心(神の心)そのままに各自が、自己の生命を生かし得ることが出来れば、直ちに大調和した人類世界が出現するのでありますが、業(カルマ)である人間の想念が、各人各様に勝手な動き方をして、生命の正しき律動(ひびき)を阻害しているのが、現在の世界なのであります。
世界を平和にするためには、幸福にするためには、神のみ心のままに各自が、この人生を生きぬいてゆかねばなりません。
神の心とは、愛であり、光(光明)であり、調和であります。そうした心が、人間の本心なのであります。
ですから、こうした心に離れた想念(おもい)は、すべて神を離れたもので、迷いであり、業(カルマ)であると言い得るのです。
怒りの想い、争いの想い、恐怖の想い、妬心、悲しみ、等の想念は、みずからの血を汚し、血液の循環を乱す、と医学者も言っておりますが、血を汚し、血液の循環を乱すということは、自己の生命の運行を損なっていることになります。
しかも、そればかりではなく、そうした想念は、そのまま波動となって、他の人々、社会、人類に伝って、それぞれに悪影響を及ぼしてゆくものなのです。
この原理は逆に、自己が本心を開発し、光明化して生活してゆけば、社会人類を知らぬうちに浄め、向上させてゆくということになるわけです。
五井昌久著『霊性の開発』より