(前略)皆さんね、やっぱり人間には情緒というものがなければいけません。
情緒というのは、調和したひびき、叙情といってもいい。もののあわれを感じる、ものの美しさを感じるとか、人の心を思いやるとか、そういう微妙な心をひっくるめて、情緒というんです。人間にはそれがないといけません。
たとえば宗教の話をするんでも、ただ真っ向から話したって情緒がないんです。相手に嫌われちゃいます。
愛の心、思いやりの心、みずみずしい心、潤いの心、これらが情緒なんですね。
やはり潤いのある人間にならなければダメです。干からびた人間になっちゃいけませんよ。
身体は七十歳、八十歳の老人になれば弱ってきます。けれど、心を干からびさせてはいけません。
そのためには、和歌を詠むとか、俳句を詠むとか、詩を書くとか、合唱するとか、書を書くとか、画を描くとか、自然を眺めて、自然の中のよさを見るとか、そういうのがいいんです。
芸術というと面倒くさすぎるけれども、もののあわれを感じる、ものに対する愛情を持つ、一本の草木に対しても、愛をもって見る。
ただ一つの石に対しても、その石の格好、転がして、その転がってゆくのを見る。それで、なんとなくあわれ味を感じ、愛情を感じる……・。
そういう愛情が歌になったり、詩になったり、句になったり、言葉になったりして出る。
そういう持ち味を養うことは、ただお説教をするより、ずーっと相手に感銘を与えるものなんです。どうぞ、そのことを覚えておいてください。
五井昌久著『天の心かく在り―日本の進むべき道 (聖ケ丘講話)』より