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神我一体の境地に入る一番の近道

神は形なく姿なきもの、とのみ思っているのは、いまだ捉われである。 神は本来形なく、姿なき生命の原理ではあるが、その働きは、時に人格神ともなり、形ある人間として、われわれの前に出現することもあるので、その点、守護霊、守護神の存在を堅く信じて、...
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安心立命の境地を得るには

光は業よりも強いのですよ。 けれど、人間はそうは思わず、業のほうが強いものだ、と思っている。 それは間違いです。 この誤った考え方を正すには、内なる光、守護霊守護神のことをひたすら思うことです。 これをつづけて行じていれば、業は自然に消えて...
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浄まった魂の状態とは?

「浄まった魂とはどういうのでしょうか」ときいた人がいた。五井先生はこうお答えになった。 「はたから見れば明るく無邪気で、自然に人のためにいいことができるような人。 自分側からみるならば、いつもスッキリとしている、把われがないという状態ですね...
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運命を変える力

どんな状態になっても、深い祈り心さえあれば、常に生活の危険を乗り越えてゆけますが、祈りのない生活ではこの世を安穏(あんのん)と暮らしてゆくことは出来ません。 一人一人の運命は、大きなことはもうすべて決まっているのですが、自分たちの力で運命が...
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芸術精神と宗教精神⑥(完)

(つづき)人はいつも美を求め、そして神を求めなければなりません。 あらゆるものから美しさを見出す力。これは、神を求める力であり、美を探求する芸術精神なのです。これがなければ人生はゼロです。 愛の心の現われはすべて美です。愛の現われていないも...
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芸術精神と宗教精神⑤

(つづき)真の極致、善の極致、愛の極致は美であります。 女性の肉体の美しさを画いても、その画家が肉体の奥にある本然の美、女性の本質を画かなければ、私たちはそれを美しいとは言わないのです。それは五感の美しさ、消えてゆくはかない美しさであり、天...
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芸術精神と宗教精神④

(つづき)いかに現象世界にあって、明日食べる米がなくとも、生きる時は生きるのです。生命ある限りは、米は必ず与えられます。これが原則です。ですから明日の米のことを思い煩う必要は、本当はないのです。 出来る限り今日の人事を尽くして、そしてよい音...
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芸術精神と宗教精神③

(つづき)儲けよう、名前を売ろうとの欲だけで、世に出るのでは駄目です。何か人のためになることをやろう。世のため、あるいは国のために何かをしよう。というような心を持つように、子供たちを導くことですね。 それには伝記などもよいでしょう。偉大な一...
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芸術精神と宗教精神②

(つづき)宮沢賢治や吉田一穂(いっすい)や北原白秋などの詩は、その言葉がどういう意味なのか、一つ一つの意味はわからないものがあるけれど、読んでいると音楽のようにひびいてくるのです。言葉の解釈は出来ないけれど、流れてくる素晴しい生命を感じるの...
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芸術精神と宗教精神①

人間とか自然とかの、本当の姿を見極めてゆくことが、宗教精神であり、芸術なのです。 バッハとかベートーヴェンとか、ミケランジェロやロダンという素晴しい芸術家などは皆、肉体の頭で作曲したり、彫刻したりしたのではなく、直観に感じて作ったのです。 ...
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