著書

南無妙法蓮華経とは(前半)

(前略)南無はやはり、帰命とか生命の源とか訳しますが、妙法蓮華経という後の五文字が、南無阿弥陀仏という唱名とはまるで異なる響きをもっているのです。妙とは、妙(たえ)なる実相とか、妙々不可思議とかいう、実在、すなわち絶対者(神)の表現なのです...
著書

大切な区別

神は絶対者であって、絶対の愛、絶対の智慧であります。その絶対者が、罪悪深重(じんじゅう)の凡夫だの、罪人的人間を創られるわけがありません。しかも神は、人間を自分の姿に似せて創られたと、聖書には書かれてあります。神自身に似せて創られた人間が、...
著書

本当の自由とは

本当の自由というのは、肉体の自由ではなくて、いのちの自由なのです。肉体が縛られていても、いのちが自然に自由に動いているという、そういう形にもってゆくのが宗教なのです。唯物論の場合は、肉体の自由性、肉体生活の自由自在を求めて科学技術を駆使し、...
スポンサーリンク
著書

真の科学的態度をもって生きる(後半)

(つづき)人間や宇宙に対する細かいことは、科学者という特定の人たちの学問研究によって探り当てたところを、話に聞いたり、書物で読んだりして、知ったような気になっている、というに過ぎません。そして、そういう科学者の言うことは相当深いところのこと...
著書

真の科学的態度をもって生きる(前半)

夫(そ)れ唯(ただ)病(へい)を病(や)む。是(これ)を以(もっ)て病(へい)あらず『夫れ唯病を病む。是を以て病あらず』というように、そのような欠点に対して、常にその欠点に対して気を病んで、反省してそういう態度がなくなるように、自己欺瞞(ぎ...
著書

真理にも把われぬ心を養おう

聖人は病(へい)あらず、其(そ)の病(へい)を病(や)むを以(もっ)て、是(これ)を以(もっ)て病(へい)あらずこのように聖人というもの、立派な人格者という者は、自己の心に欠点の起こらぬように、自己の心が病まぬように、常に本心の座(神性の心...
著書

知らずして知れりとせるは病なり

知らずして知れりとせるは病(へい)なり知らずして知れりとせるは病なりの人のほうがこの世にはたくさん存在するわけです。俗にいう、知ったかぶりのことですが、これは一つの病気であり、欠点である、というのであります。ところがこの世の中では、知らない...
著書

知りて知らずとするは上なり

知りて知らずとするは上(じょう)なり知っていることでも知らないような態度で、人々に接することはなかなかむずかしいことです。知っていることは、ひょっとした時につい言葉に出てしまったり、その態度に現われてしまうものなのですが、上等な立派な人とい...
著書

業の現われへの対処法⑦(完)

(つづき)拍手がどうして光になるかというと、私の中には何もないからですよ。あいつは馬鹿だとかチョンだとか、そんなことは何も思っていないんです。その時は黙って拍手を打つ。すると光がピューと入ってゆく。これを年中つづけてやっていると、業が自然に...
著書

業の現われへの対処法⑥

(つづき)小言というのは離れています。愛というのは離れていません。愛は小言を言いませんよ。「ああ、かわいそうに、一所懸命私もやりましょう」こう思うのです。小言というのは、子供なら子供を別に見る。夫なら夫、妻なら妻を別に見て、「なんだあの子は...
スポンサーリンク