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陰きわまれば陽となる

光は業より強いのですよ。けれど人間はそうは思わず、業のほうが強いものだ、と思っている。それは間違いです。

この誤った考えを正すには、内なる光、守護霊守護神のことを、ひたすら想うことです。

これを続けて行じていれば、業は自然に消えて、安心立命の境地を得られます。どんな災難や碍(さわ)りも、自分の魂を守護霊さんが強くしようと訓練されているのだ、と思い定めることです。

そのように思えれば、どんな苦しみも、災難も碍(さわ)りも、すべて自分を強くする修行になり、結局は自分が強くなるわけです。

おれはダメだ、ああ切ない、恨めしい、と想うだけならば、それは業になってしまうのです。

神さま(守護の神霊)は悟らせるために人間の魂を鍛えます。何もしないで、努力なしで、楽をして、悟りを開こうと想うのは誤りです。

どんな仕事であろうと、二十年、三十年の月日を努力し苦労して、初めて完成の緒をつかみ得るのです。

完成への最短距離は、守護霊さんにすがってしまうことなのです。

そして現われてきた悪いことは、過去世の因縁が消えてゆくのだ、これで消えるのだ、と想い、これで善くなるのだ、必ずよくなるのだ、と一生懸命想うことです。

いくら想っても想っても、もうしょうがない、と思う最後の瀬戸際が大事なのです。苦しみの極みの、その次の瞬間に光への門が開かれるのです。

陰きわまる時は陽となる時なのです。苦しい時は、過去の業が大きく消えてゆく時なのです。苦しみが大きければ大きいほど、業が大きく消えてゆくのですよ。(後略)

五井昌久著『生命光り輝け-五井昌久講話集1』より