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消えてゆく姿がなくなれば世界は平和になる(後半)

(つづき)
なぜ難しくないかっていうと、
こうやっていてもわかるんですよ。

たとえば、この間までいた
お爺さん、お婆さんが
いなくなっちゃった。

この世から
消えていっちゃったんですが、
それはいなくなったんじゃなくて、
幽界なり、霊界なり、
神界なりにいらっしゃる。

しかし、この肉体界からは
消えてゆく姿になって、
今度は霊界で
消えてゆく姿を行じる。

そして、そこで
消えてゆく姿を行じ切ると、
今度は神界に行く。

神界の深い所へ行くと、
もう消えてゆく姿がない。

そのまま光り輝いて、
永遠の生命が
そこに行じられている。

その神界で行じられている
永遠の生命の
何パーセントだかが、
この肉体界に
映っているんですね。

それで永遠の生命を
行じているわけです。

皆さんは
消えてゆく姿と同時に、
この地球界に、
神のみ心を現わす
永遠の生命の生き方をしている。

たとえば
病気なら病気をする、
あるいは
人に悪口を言われるとか、
いろいろな消えてゆく姿を
やっているわけですが、
そこで、
「ああ、過去世の因縁が
みんな消えてゆく姿なんだな、
本当のものが、神のみ心が
自分の体を通して
現われるために、ここに
いろんな消えてゆく姿が
現われたんだな」と、
それを行じつづけていますと、
やがて消えてゆく姿が
種切れになりまして、
よいものだけが現われてくる。

実在界の姿だけが
現われてくるわけです。

それを一人がやり、
二人がやり、十人がやり、
千人がやり、万人になってゆくと、
もう理屈を言うんじゃなくて、
世界が平和になってくるわけです。
(後略)

五井昌久著『永遠のいのち―本当の自分に出合う 聖ケ丘講話 (聖ヶ丘講話)』より