(つづき)この間も、朝ぼらけのような薄明かりの中に、鐘つき堂があり、大きな鐘がある。
たくさんの方々が次々と上がってきては、つついていってしまう方もあれば、小さな棒をもってきて、コンコン叩いていってしまう方もある。
そうかと思うと、一生懸命撞木を握って、いい音を出して叩いている方もあるんです。
『あれが(鐘が)五井先生だよ。
指先一つでちょっと突いて鳴らないと行ってしまう人もあるし、いのちがけで鳴らしてゆく人もある。
鐘が鳴らないんじゃない。
お前たちが鳴らさないんだよ。
自分の鳴らしただけのものが返ってくるんだよ。
おかげがないとふくれっ面しても、それは自分の鳴らし方が悪いんだ』
というふうに、守護霊様でしょうに、いつも説明者がつくんです。
霊界のようなキレイなところへ連れて行っていただいて、一つ一つ丁寧に説明してくださる。
地獄へ行っても、やっぱり説明してくださる。
私はそういうようによく夢を見ます。
私は今まで病気のほうで、息をつくひまもないくらい、厳しいご修業ではございましたけれども、“五井先生”と申し上げると、今でも有り難くて有り難くて、涙が出るほど有り難いんです。(つづく)
五井昌久著『講話集〈2〉みんな救われている (講話集 2)』より