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守護霊・守護神と一体であることを自覚して生きる(後半)

(つづき)
人間は誰でも波動圏ってのがあって、小さな波動圏の人もあれば、大きな波動圏の人もある。自分の出した波(意識)の範囲で生きているわけです。その波の範囲を守護霊・守護神さんが外郭を護ってね、野球でいえば、外野手が来た玉を取ってくれるみたいに、何でもそこで受け止めてくれる、そういう守護霊さん・守護神さんが中にいらっしゃるんだから、「ああ、いつもありがとうございます。私はわかりませんけれども、守護霊さん・守護神さん、いつも私を護ってくださって、私の災難をいつも避けてくださってありがとうございます。」と、そういう想いをね、感謝に込めて想わないといけないですね。

ホントに守護霊・守護神なんて寝る間も寝ないんですよ。みんなは寝ますけどもね。それで、守護霊・守護神さんが、自分たちだけでとても手に負えないと思うと、そういうときに私のところなどに連れてくるわけですね。「先生、ちょっとこの子を預かってください。私、休まないとダメです。ちょっと差し当たって、私、みそぎしてまいりますから。」なんて言って、私に(皆さんを)預けて、(守護の神霊自身を)磨いて来るわけです。

ねっ、だから私は託児所みたいなもんよ。お父さん、お母さんが、「ちょっと働きに行きますから預かって」ってんで預かってる、みんなを。だから、私いつも観てますけどね、いつも大勢来ますけれども、まあ、80のおばあさんも90のおじいさんもいるわけですよ。みーんな赤ん坊のような気がしてるの、こうやって見ていると。「ああ、かわいい子だなぁ」なんて感心して見てるの。

だから、お話しをしますけれども、私の話しは紋切り型じゃないでしょ。今うちの人たちに話してるみたいにね、親族(うから)が集まって「そうだよねぇ、そうだよねぇ、五井さん。」ってな調子で話してるような響きがありますでしょ。本当に親しいね、親族(うから)に話してるような、そういう気分なんですよ。親しい気分で話している。だから聞いてるほうも親しい気になっちゃう、ねっ。

五井先生、顔は怖いような顔してるけれども、この頃、髭が白髪になってきましてね、だんだんやさしい顔になってきてる。昔は真っ黒な髭で恐ろしいような顔してましたけれども、だんだん恐ろしくなくなってきましたけどもね。そうすると、なんか和やかになってくる。それは皆さんの守護神・守護霊さんが先生の中に入って、皆さんと先生を一つに結んで、それで親しさを感じさせるわけですね。皆さんの守護霊・守護神さんと、こちらは一体なわけですね。

だから、「守護霊・守護神さんありがとうございます」って言ったって、「先生ありがとうございます」って言ったって同じことだから、どちらでも言いやすい方を言って、それで毎日、神さまが護ってくださっている事に感謝するといいですね。ただ”神さま”っていうと、宇宙の絶対神みたいになんだか遠い感じがするから、祖先の悟った人、お爺ちゃんお婆ちゃんが護ってくれてると思うとね、これはもう親しい気がします。

たとえば、お母さんが亡くなった人なんかずいぶんありますね。それで、お母さんが悟りを開いて、後ろで護っていてくださると思えば、ずいぶん気が楽でしょ。「守護霊さま」って呼べば、「あいよ」って答えてくださってるんです、必ず。「お母さんお父さん、お爺さんお婆さん」って呼べば、「あいよ、後ろで護っているよ」って必ず答えてくれてるんですよ。そういう親しい気持でね、神様を呼べばいいんですよ。

恥ずかしがらずに神さまを呼べばいいんですよ。大神さまじゃなかなか、ちょっと呼びにくいから、「守護霊さん・守護神さん」って呼ぶんです。そうすると、守護霊さん・守護神さんが護ってくれてる。自分たち(守護の神霊)で足りないところは、私どもの神さま(救世の大光明霊団)に頼む。

五井先生に頼めばね、五井先生の霊団はものすごいんですよ、それは。ものすごい光り輝いた、いろいろな神々がいらっしゃるから。それが手助けするわけですよね。そういう風に親しみを込めて神々を呼べばいいんです、ねっ。そうすると神々さまはちゃんと護ってくれるの。

ただ護ってくれるったって、ただホンワカホンワカってね、何事もなくやってくれないかもしれないですよ。あるときは病気になるかもしれない。あるときは怪我をするかもしれない。しかし、それは中にある膿を出すんですよね。魂にくっついてる業を出してくれるんで、ね、出し方は守護霊・守護神さんに任せておくよりしょうがないですね。どういう出し方をしてくれるか。みんな(業が)ついてるんですから。

それを守護霊・守護神さんがうまーく、神計りに計って出してくださってるんだから、どういう出し方をするかは守護霊さん・守護神さんに任せておけばいい。そうすれば(守護霊守護神は)みんなが傷つくような、みんなが困り果てるような出し方はしないで、みんなの(魂の)力に応じて、時に応じてね、力がついた人には余計に出すかもしれない。力が足んないなと思えば少ししか出さないかもしれない。その人が受けられるような形で出しながらね、大きな災難にならないようにするわけですよね。(おわり)

ある日の五井先生のお話しより