(つづき)人間は本来、神からきた光である。
光は即ち心である。
神はすべてのすべてであり、無限の知慧、無限の愛、無限の生命であるけれども、神そのものが、神そのまま動いたとしても、無限はいつまでも無限であって、有限にはならない。
一つがいくら動いても、やはり一なのである。
無限がいくつかの有限になり、一が自己分裂して二になり、四にならなければ、形の世界は創造されない。
この光そのものである神がある時、突然その統一していた光を各種、各様相に異なった光として放射した。
このときから神の創造活動が始められたのである。
神まず天地に分れ、そして、その一部の光は、海霊、山霊、木霊と呼ばれ自然界を創造し、後の一部の光は直霊と呼ばれて人間界を創造した。
ここにおいて神は、一であり、多であることとなり、一即多神となるのである。
さて、人間の直霊、即ち神の一部の光こそ、私が前章より書きつづけている人間そのものなのであって、この時には、いまだ業因は生じていないのである。(つづく)
五井昌久著『神と人間』より