どうして玉石混淆した世が現われてくるかというと、仏教的ないい方ですが、過去世の因縁因果によって現われてくるのです。
だから、「運命は80%決まっているのだ、父と母の間に生まれて来た時は、すでにその児の運命は80%決まっている、あとの20%の力でその運命を変えてゆくんだ」と私は説いています。
そういいますと、「20%ではもうしょうがないじゃないか、もう決まってしまっているのと同じではないか」という考えが出てくる。その20%というのはどういうことかというと、20%未知の世界がある、これから作り上げてゆく世界がある、というわけです。
20%の出発点から、100%、1000%と、今までの業を越えて、すっかり業を消滅して新しい世界を作る窓口という意味です。80%まっくらだけれど、20%光がさすところがある。
それを窓口として、跳躍台として、無限に自由自在の世界に出る、ということなのです。つまり自分の生命体が自由自在になる、そういう窓口が20%開いていて、あとの80%はもう決まっているのだ、というわけです。
その世界から出てゆけば自由自在の世界に出られるのです。(中略)因縁因果を超えた人というのは、因縁とはなんの関係なく、自由自在に生命を生かしてゆける。そういう人間になる道が20%の光の道としてあるわけです。20%の自由性がある。
その20%につながれば、悪い運命であったとしても、それを超えて自由自在の世界に出られるんだ、ということなのです。20%のところに何があるかというと、守護霊・守護神が厳然として存在していて、人間の運命を変えてゆく、幸せにしてゆくのです。
一日も早く本当の人間の、神の子の姿を現わすように、20%の光明をさしこむ窓口に守護霊守護神がいて、引っ張りあげてくれるわけです。だから20%といっても単に20%ではなく、因縁因果を超える窓口として、20%開いているのだということなのです。
五井昌久著『悠々とした生き方―青空のような心で生きる秘訣 聖ヶ丘講話』より