2016-07

著書

すべては自己責任③(完)

(つづき) 消えてゆく姿として現われて消えてしまい、光り輝いてしまえば、祖先が迷っているもへったくれもありませんよ。みんな輝いてしまいます。 それで、一人出家すれば九族救われる、というのです。 出家ということは、悟るという意味なんですよ。い...
著書

すべては自己責任②

(つづき) 私は皆さんの苦しみを背負います。 皆さんが苦しんでいる、悩んでいる。一緒に苦しんで悩んでいるように見えるけれども、私は苦しんでいませんよ。 心はいつも澄んでいる。心はいつも明るい。 それと同じように、自分が苦しんでいることは、自...
著書

すべては自己責任①

問 祖先の因縁で自分が苦しむということはあるのでしょうか。 答 祖先が悪いことをして、それで子孫の自分が苦しむとは何事だ、私は祖先なんか知らん、という人もあるでしょうね。祖先の因縁で自分が苦しんでいる、という言い方が少しおかしいからね。 祖...
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著書

無名は天地の始めなり⑤(完)

(つづき) そして、どちらも之を玄という。つまり、霊妙不可思議なる、あらゆる能力を含んだ実在、即ち神そのものであり、神の現われである、というのであります。 その玄と老子がいっている、霊妙不可思議なる存在は、どこまでも深く、どこまでも広く、無...
著書

無名は天地の始めなり④

(つづき) この無名が、何々という名前をつけてきますと、これは無名ではなく、神そのものではなく、神の現われとしての存在となってくるのです。そして、霊的な微妙な波動としての存在から、次第に粗い波動の存在、つまり、物質的な現われに変化してくるの...
著書

無名は天地の始めなり③

(つづき) 『無名は天地の始なり。有名は万物の母なり。』 無名というのは、宇宙万物を創りなす根源の力、相対的な何もの何ごとも現れ出でぬ以前の、すべての働きの根源の創造力そのもののことであります。 それは、相対に現われぬ根源の力であり、絶対な...
著書

無名は天地の始めなり②

(つづき) また名にしても同じことで、何の誰某という名がつけば、その名の範疇でしか、生命が働かなくなってしまうものです。人間というものは、そんな窮屈なものではない、何もの何ごとにも把われぬ存在であって、いささかでも把われがあれば、真の道は隠...
著書

無名は天地の始めなり①

(前略) 『道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず。無名は天地の始なり。有名は万物の母なり。故に常無以って其の妙を観んと欲し、常有以って其の徼(きょう)を観んと欲す。この両者は、同出にして名を異(こと)にす。同じく之...
著書

人間とは生命である

(前略) 人間とは肉体の固まりではありません。肉体を動かしている生命のことをいうのです。 そしてその生命は二つの面、即ち精神と肉体というように、一応違った働き方をするのであります。 精神と一口にいいますが、この精神にも霊性そのものとして働い...
著書

短所を長所に変える祈り

(前略) 私は若い時に、ものすごい短気だったのですよ。そのうちに、神に、「わが生命を使ってください、人類のためにお使いください」と投げ出したら、短気も損気もいつの間にか無くなってしまった。 短気は何に変わったかといったら、気が早くなった。同...
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