2016-08

著書

神仏の心を自己のものにする生き方(後半)

(つづき) 宗教者の目指すところは、神仏の世界でありまして、神仏を離れた自我の世界ではありません。 釈尊が空になる座禅観法を教えたのは、空にならずに、想念波動のエネルギーをつかっての念力の修練では、三界の苦しみを超えることができないのを知っ...
著書

神仏の心を自己のものにする生き方(前半)

(前略) 祈り心と念力とは違います。 祈りとは、神の生命のひびきに肉体の想念が一つになって、本心をひびきわたらせようとする、その方法であり、念力は、神とは関係なく、自己の想念意志の力をそこに現すのでありますから、その人の念力の達成が神のみ心...
著書

すべてを生かす源の力への感謝をもとう

(前略) 大自然と一口にいいます。唯物論者でも、自然ということはいいます。 ただ智恵もなんにもないものが自然に動いてるんだったら、どこかに間違いがあって、地球と太陽がぶつかったりということになりかねない。この宇宙の中には、星が何億あるかわか...
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詩・詞

文字を書く

私は今日も文字を書く 一という字を書く 筆はたっぷり墨をふくむ 一という字は後にも先にも ごまかしようのない字だ 紙の上に筆を下(おろ)した時に一の姿が定まる 私は無心に筆を下おろす 一瞬にして一の字は紙の上に現われる 一の中に天地が消える...
著書

情緒と科学の融合

(前略) 純化された感情は『情緒』として、神のみ心と一つになった心で、人類が真実の人類として生きるための主要な要素となりますが、低い汚れた感情は業想念波(カルマ)として人類を滅亡に追いやってしまうものなのであります。 人類が真実に神のみ心を...
著書

イエス・キリストの風貌と人となり

(前略) イエスには、説法の深さや霊覚もさることながらその風貌にも、人々を引きつけずにはおかぬものがあったのです。 日には焼けているが、きめの細かい神経のよく行きとどいた皮膚、広い額、碧(あお)く澄んだ遠くのほうまで見通すような眼、私にはこ...
著書

言葉を言(ことば)に昇華しよう

(前略) 私どもが毎日使っております、この言葉というものの中には、想念波動のひびきも、実在の世界の言(ことば)(光)のひびきも混じっているわけなのですが、得てして人々は、汚れた業想念波動の言葉を使いたがります。 せっかく神様が、光り輝く平和...
著書

病気について⑦(完)

(つづき) 小児麻痺でも、やっぱりそういう原因もあるんです。親たちが抑えている。それが変に出てきた。そこに迷ったものがついてくる、と言うわけですよ。 小児麻痺になった子どもが悪いわけではなく、親たちの想い方が間違っていたわけです。だから治す...
著書

病気について⑥

(つづき)病気の正体というものは、抑圧した想いというものです。あまり抑えに抑え、我慢に我慢をしていると、堪忍袋の緒が切れちゃうんです。そうすると、魂の緒まで切れてしまいます。それで病気になるんです。 だから、抑圧したものがいけないんです。ス...
著書

病気について⑤

(つづき) そこでポリオなんかの場合には、九十パーセントが幽界からの迷いの想いが来る。うしろから、あるいは前から、かぶさってくる。そうすると、生命はまっすぐに進もうと思っても進めなくなるでしょう。少し歪んでしまうんです。これが病気の状態です...
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