今こそ、永劫につづく日本の平和、世界の平和を真剣に考えなければなりません。そこで私は、今日までの常識では駄目なのだと声高々に叫んでいるのです。
常識的な外的生活の中にいて、すべてが超常識にならねばならぬ、今こそ、大奇蹟をこの地球世界にもたらさなければならぬ、と私は近頃は特に強調しているのであります。
大奇蹟がなければこの地球世界は救われないのだ、ということが今日ほど切実に思われる時はないのです。
それは病気が治った、貧乏から立ち直った等という小さな奇蹟ではなくして、今日までの常識的世界観が、底の底からひっくりかえってしまうような超常識、大奇蹟の出現でなければならぬのです。
地球世界は今や、破滅か地上天国の創設かの二つに一つの時代になってきているのであります。このことをはっきり認めないといけないのです。
神示はいかなる霊覚者にでも、地上天国の出来ることを知らせてくれています。しかし、その地上天国のできるまでには、地球人類の大半の死滅を予言しているものが、かなり多いのであります。
私も地上天国のでき上がることを確く信じております。だが、その前に起こる甚大なる損失を肯定するものではないのです。
自分たちだけが救われることで満足ならば、私や私たちの周囲の者は救われるに決まっています。何故ならば、私たちは、いかなる不幸も災難も過去世の因縁の消えてゆく姿であり、その業因縁の消え去った時、真実の自己、神の子の真性が自己に現われるのだ、という真理を知っていますし、常に守護の神霊が身近で守っていて下さることを、いずれも体験として知っております。
ですから、何事が起こっても、一般の人々のように、あわてふためいて、泣いたり騒いだりは致しません。ただ一心に守護の神霊のみ名を呼び、世界平和の祈りの中に運命を託してしまうでしょう。
もしこうした想念で死んだ場合には、必ずよりよい他界に誕生することを私たちはもう数多くの人の体験で知っておるのです。そう致しますと、私たちはこの世を去っても、この世にとどまっても、どちらでもよいのであります。
その心境には幾分の相違はありましょうが、とにかく、あびきょうかん(阿鼻叫喚)の巷にさまよう心境の者はいないのです。それはたゆみなき世界平和の祈りの効果であります。
それは、私たちの問題でありまして、人類全体の心境ではないのです。ですから私は、もしやの場合には、人類の一人でも多くの人が、苦悶の果てに死ぬようなことのないようにと、心の底から願っているのです。(つづく)
五井昌久著『人類の未来-物質文明より霊文化へ』より