一人一人の力が大きなものでなく弱くとも、十人、百人集まれば、十人、百人の結集した強い力を発揮することが出来るのです。
業でさえ結集すれば国を滅ぼし、世界を破滅させる力をもつものですから、まして善いこと、光のことを団結して強く想えば、光の集団となって、すべてを輝かすことになるのです。
今の状態は光が闇の中を進軍してゆく姿なのです。ですから光を想って、光を結集させて強くするのです。
闇をつらぬいて進軍するのです。そして闇を消してしまうのです。
多くの人々が祈る高い光の祈り、平和の祈りは結集して、世界の指導者連の頭にひらめき、魔を消して、世界を平和にさせるのです。
ですから、一人でも多く大平和の祈願に燃えることが、業を一日でも早く消して、真の平和を完成させることになるのです。
光を欠かさず常に想えといったからと、座ったままで何もしなくていいというのではありません。どんなささいなものでも、与えられた仕事には全力をあげる、全生命をかけてするということが、光になっていることなのです。
しかし、いつでも全力をあげているということはないわけですから、暇があった時は欠かさず、世界平和、人類平和と、自分の天命の完成されることを祈れ、というのです。
仕事をするにも、神さまを常に想っている祈りを根本にしてすることがよいというのです。そうしてゆく内に、神と一体になり、不動の心、不動の精神をもつことが出来るのです。
五井昌久著『生命光り輝け-五井昌久講話集1』より