(前略)人間というものは、今まで何十年か生きていれば、悪いこともするでしょう、人をだましてもいるでしょう、恨みもするでしょうし、妬みもしたでしょう、欲しいと思うこともあるだろう。
色々なことや想いがあるだろうけれど、いったん、これはいけない、と思った時には、それはひっくり返っているのです。
神さまごめんなさい、これからいいことを致しします、という。
また失敗したら、またいいことを致しますと、繰り返し繰り返し、いい方へいい方へと、希望する方向へ心を向けてゆくんです。
そうするとその人は、常に常に天国を見ている人だから、その想いが重なって、必ずいいところへ行くんです。
そういうことが私の話しの根本なのです。
消えてゆく姿ということと、神さまにつながるということ。
自分の想いというものは、すべて神さまに返してしまう。
もともと神さまから来た命なんだから、善悪すべてひっくるめて、神さまにお返ししてしまえ。
そうすると、神さまの本当の命がここに現われて、自分の生活の中に神さまそのものの行ないが出来てゆくんだ、というのです。
それには一年や二年で出来ないかもしれない。三年五年で出来ないかもしれない。一生かけて、あるいは二生かけて三生かけて四生かけて、命のつづく限り、というのは、肉体のつづく限りという意味ではありません。
命というのは肉体を越えている。霊体になり神体になってゆくんだから、その命をかけて、一生懸命精進するんです。
それが人間が人間たる道なんです。
五井昌久著『素直な心-五井昌久講話集2』より