(前略)
すべてのものは
消えてゆく姿だと思って、
自分の想いが乱れなくなる、
とらわれなくなるまでには、
大変な想いの修行がいるのですよ。日常茶飯事の
当たり前の生活の中で、
「ああこれは
本当に消えてゆくんだな、
あるものは神の生命だけなんだな、
光だけなんだな、
正しいことだけがあるんだな」、
ということを
心から決定して
思えるようになるには、
大変な修行がいるわけです。そう思う練習が大変な修行ですよ。
ですから、うちのやり方に
行がないなどと思う人は、
何もわかっていない
ということになる。自己満足だけ、
自分の気をまぎらわすために
何かやらなければ、という想いが
「行がない」なんて思うのです。うちのやり方というのは、
日常茶飯事
一瞬一刻が行です。行の積み重ねが、
消えてゆく姿で
世界平和の祈りなのですね。
(後略)
五井昌久著『白光誌1964年12月号』より