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自我のない身体の働き

(前略)私の身体はどうなっているかというと、暗い想いも明るい想いもない、私自身の想いはなんにもないんです。

何があるかっていうと、神さまの光の波が年中、ここに入っている。ある時は小さく、ある時は大きく、相手によってはうんと大きく入って流れてゆく。ぐるぐる身体の周りをつつみ、身体を通って、相手に流れてゆくんです。そういう身体なんですよ。

それでもう一方では、集まってくる人の想い、あるいは人類世界の想いが波になって、押し寄せてきて、ここに感じてくる。感じてくるものは、みんな消えてゆく姿ってことをちゃんと知っていますから、みんな、スルスルスルスル消えてゆく。

だから神さまの光の波と、横から入ってくる業の波と両方あるだけで、自分というものがひとつもない。ですから、何百人、何千人が、「先生、お腹が痛い、頭が痛い」、と頼んでこようと、その想いは必ず飛んでくるんだけれども、飛んできても、ここへ来た時には、これはそのまま廻って、つかみませんから、ああ痛い、これはなんの病気だって思わない。思わないからそのままスーッと通り過ぎて消えていっちゃう。

それであるものは何かっていうと、神さまだけ。

神さまの波が年中流れているでしょう、だから業の波がいくら入ってきても、きれーいになっちゃう。(後略)

五井昌久著『光明の生活者』より