(つづき)
ところがね、自分の肉体なんてものは実はないんですね。
神さまのいのちをお預かりしている器があるんです。みなさん(の肉体)は神さまのいのちをお預かりしている器であり、場なんですね。
その50年なり100年なりの、場であり器をお預かりしていて、ある年限が来ると、さぁ、それをまた宇宙にお返しして、霊魂が生命の元へ帰ってゆくんですね。
そういう状態が人間なんですね。そう想うと、生死ってのは怖くなくなりますね。
人間が一番大事なことは、死ぬことが怖くなくなること。それがね、別れがね、怖くなくなれば、死と別離を超越できれば、それは大したもんですね。
でもそれがなかなか難しいんです。
まぁ、東京から関西へ行って一日離れたって寂しい。
夫でも妻でも子供でも、離れることが寂しい。
別れることが寂しいんですね。ところが実際問題としては、一緒にいなくったって命や波動がつながっているんだから、霊界にいたって、本当は離れているわけではないんですね。
それがわかるためには、自分の肉体観念をね、”肉体は器であり場所なんだ”、”自分は神さまの中にいるんだ”ってね、想うといいんですね。(中略)
みなさん、亡くなったお父さんお母さん、おじいさんおばあさんがいると思うんですけど、みんな、神霊の世界で、皆さんの運命がよくなるように、一生懸命、応援しているわけなんです。
だから、“守護霊さん守護神さん、ありがとうございます。
ご先祖さん、ありがとうございます。世界人類が平和でありますように”、とこの祈りをしてさえいればね、先祖と一緒に、自分も先祖も一緒にね、世界平和のために働くようになるんですね。本当に神さまの世界において、人間は一つのものなんだ、兄弟姉妹なんだ、ひとつの”いのち”なんだってことがわかるまではね、これは人間は救えません。
自分というものは常に神さまの中にあって、神さまと一つのものなんだ、神さまの中で世界中は一つのものなんだってね、そういうことを観念的にでもいいですよ。
想っていると、想っていないよりは寛容の美徳が出て、人を責めるところを責めないで、赦せると思うんですね。それが自然に出来るためには、”消えてゆく姿で世界平和の祈り”なんですね。
(つづく)
ある日の五井先生のお話し