(前略)
宗教の道は、初めから終りまで、神との一体化を願う魂みがきにかかっているのです。
普通一般人への守護の神霊の働きかけ方は、守られている人間が、そのおかげを知ろうと知るまいと守り通すのでありまして、守っていることをいちいち声で聞かせて、知らせるようなことはいたしません。
肉体人間の何気ない一挙手一投足の間に、その使命を遂行してゆくのであります。
例えば、その人に会ったほうがよいという有益な人には、何気なく会わせたり、知らないうちに傷害、誤ちを防いでくれたり、日常生活の中の一言が、相手の運命を開く言葉になったり、あらゆる面で実に見えないところから守っている肉体人間のプラスになるように、働きかけているのが、守護神であり、守護霊であるのです。
ですから、声でささやかれたり、目で見たりする必要は毛頭ないのです。
目で見たり、声に聞いたりすると、かえってそのことに把われて、潜在意識で自他の運命を危うくしてしまうことがあるのです。
神の姿を見ることや、声を聞いたりすることを願わなくとも、その人の心が立派に神のみ心にかなっていれば、時には姿を見せるのであり、声を聞かせてくれるのであります。
そういう時まで、神秘不可思議な現象のみを求めないようにしなければいけません。
ただ常になさねばならぬことは、守護の神霊への感謝なのであります。
(後略)
五井昌久著『自らを信ぜよ』より