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不幸を契機に運命を開く③

(つづき)

それはどういう方法をやったかというと、私はちょいちょい行ってやりたかったんですが、ちょいちょい行ったんでは効果がない。なかなか、ここが難しいんです。それで待ちに待って、会いたくて会いたくて仕方なくなって、もう、一言で効果が上がるようなところまで待っていて、最後に、今日行かなければ死んでしまう、という時に、ちょうどおばさんが言って来たんで、「さあ、行きましょう」と、横関さん(※初代理事長)と二人で、カステラを持って行ったわけなんです。

最後の土壇場なんですから。その日に行かなきゃ死んじゃうんですからね。それで行って祈ったんです。その時に、お父さんにもお母さんにも、「もうだめなんだから、亡くなったと思って、もう天上にいると思いなさい」とあきらめさせたわけです。それで、ご両親もすっかりあきらめて、もう仕方がないと思って、生死を神さまに任せた。

だからお父さんもお母さんも、「死んじゃいやしないか」という恐怖の想いがなくなったわけです。「もう死んじゃうんだ」と思わせるように、私が言ったからね。そのように、お父さんお母さんの恐怖の想いを祓っておいて、それから浄めたんです。

そしたら、これがテキ面に効いたわけです。待ちに待ったところへ、サッと行って浄めたからです。光がまともに入ったんですね。それまでなにも食べられなかったどころか、水さえ飲めなかったのに、カステラが食べられた。

神さまに任せちゃったことと、当人が全部私に任せ切ったものだから、そこで効果が100%現われたわけですね。現われた効果というのはもう一つあるんです。それは、脳性小児麻痺の妹さんがいたわけです。その人は年をとって、だんだんだんだん長生きすればするほど、親がいる間はいいけれども、もしいなくなった場合には、兄弟に負担がかかるわけで、そうなると家の者も困るし、その子もかわいそうなんです。そこで、その子に高橋君の業想念を全部背負ってもらって、身代わりになってもらったんです。その代わり、その子の魂をうんと上げてやって、あちらへやった代わりに、こっちを助けたということになって、すっきりと治っちゃったわけなんです。

まずああいうのは、はたから見りゃ奇跡なんです。私も「どっちかなぁ」と思ったから……。それで完全によくなった。

(つづく)

五井昌久著『自由解脱への道―聖ケ丘講話』より