(つづき)
しかし、神さまを思っている自分と、怒ったり妬んだりしている自分とは違います。不安がっている自分とも違います。
それは消えてゆく姿なのです。今の自分ではなく、過去の世において出していた波なのです。その波が現われて消えてゆこうとしているのです。
今出している波ではない。今出している波(想念)は、神さま!っと思っているのです。
それを今、神さま神さまと思いながら、自分の悪いことをつかんでいる。そして、自分はダメだ、あの人はダメだとやっている。
あの人はダメだとか、自分はダメだとかいうのは、今のものではなく、前の世からの想いの消えてゆく姿というのでしょう。それを、”ダメだダメだ”と想いを出す。
出しているということは、業をつかんで引き寄せているということですよ。バカなことです。そう教えるのが宗教だと思って、”お前の心が悪いのだ”と、今までの宗教はやっていたのです。
それは初めはいいのですが、それに習慣づけられ慣れると、人を見ると、”あの人はああだからこうだ”、あるいは自分のちょっとした悪を見て、”ああ、これは……”とやる。いちいち面倒くさい。自分や人をいじめてばかりいる。だから家の中が暗くなる。
上機嫌でいるべきものが、”あの人はあの心が悪い”、”私の心が悪いのだ”と、悪ばかりつかまえて、みんなを暗くさせて、不機嫌にさせてしまう。それで神さま神さまとやったって、そんな神さまはなんにもならない。それでは神でも仏でもない、業想念です。
悪をつかんではダメ。悪は間違った想いの消えてゆく姿。実在するものではない。
ですから、本当の自分だけをつかめばよい。
本当の自分とは何か。上機嫌の自分です。明るい自分、柔和な自分、光り輝いている自分です。
その他の自分はあるべきものではない。消えてゆく姿の自分なのです。これを徹頭徹尾想うことです。
自分の心を穢(けが)すもの、自分の心を不安にするもの、自分の心をヒステリーにする、自分の心を妬み心にさせる、それらは皆、消えてゆく姿です。ただ本心の前を通り過ぎてゆくだけなのです。
通り過ぎてゆく間、神さまの中に、世界平和の祈りの中に入っていればよいのです。そうすると、あとで明るく晴れやかになって、”ああ、私はよかった”と思う。
だから、いつも本心と業想念を分けていることです。
通り過ぎてゆくと思っていると、だんだん光が大きくなって、宇宙大に光り輝くようになります。そして、いつも上機嫌でいられるようになるのです。
(おわり)
五井昌久著『高級霊(ハイスピリツト)は上機嫌』より