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消えてゆく姿を極めて善悪を超えれば絶対善が現れる

(前略)もし悪いことをしたとすれば、それは過去世の因縁が悪いことをしたことによって、消えてしまったのです。

だから、「あっ、しまった、悪いことをしてしまった、申し訳ない」と、”申し訳ない”と思わなければダメです。

それを、「これはいいことを覚えた。先生がみんな消えてゆく姿だと教えてくれた」というわけで、隣の家のものを盗んできちゃって、「お前どうしたんだ?」、「これは消えてゆく姿だ」(笑い)、これでは消えてゆきません。

なぜかというと、”悪い”ということを認めてないからです。

消えてゆく姿を認めてないからです。

悪いことをして、また再び悪いことをするということは、消さないでまた悪いことを持ってきたわけだから、だんだん積み重なってしまうのです。

”悪いことは消えてゆく姿”というのは、”再びしない”ということなんです。

たとえば間違って、青酸カリを飲んでしまったとします。

そして助かったとします。

さて、再び青酸カリを飲みますか?

死ぬつもりでなければ飲まないですね。

なぜかというと、青酸カリは毒だということがわかってるからです。

悪い想い、悪い行ないは毒なのです。

毒であることがわかった人が、菩薩の道へ入る人なのです。

消えてゆく姿ということは、この現象世界に現われて来る、すべてのことに当てはまることで、善悪ともに消えてゆくのです。

そして、後に何があるかというと、神さまの絶対善。

相対的な善ではなく、絶対的な善がそこに現われて来るのです。

だから、善も消えてゆく姿なのです。

”善もいいことも消えてゆく姿”ということでないと、「私は去年も一昨年もいいことばかりだった。今年もよくて、昨日までいいことをしたんだから、たまに悪いことをしても、プラスマイナスで減りはしないだろう」なんて、ウッカリすると思う。

それではダメなんです。

たとえば、去年うんと商売して儲かったから今年は休もうか、ということはないでしょ。

儲ける仕事は、いつも儲けていなければマイナスになってしまいます。

それと同じように、昨日やろうが、一昨日やろうが、どんないいことをしようと、今日悪いことをすれば、それが全部ひっくり返って悪いことになってしまうのです。

そこで私が言うのは、「いいことも悪いことも、みんな現われて消えてゆく姿なんだ」ということです。(後略)

五井昌久著『空即是色―般若心経の世界』より