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精神生活と物質生活の調和④

(つづき)

精神面の科学探求いまだ浅し

この世の在り方というのは実に面白いもので、理論的にはっきりしないままで、すべてを承認して生きていながら、霊魂とか神とかいうと、迷信扱いにしてしまい、すべては科学が証明してくれると安易な気持ちで生きている人々が多いのであります。

ところが真の科学者は、原子、電子、陽子、中間子、中性子、ついには万物波動よりなるという、波動説まで来ておりますのに、精神の面では、横の研究はありましても、奥に深く入ってゆく研究はされておりません。

精神科学といわれる分野でも、深く大生命の根源にまで入ってゆく科学ではなく、精神の横の現われの横の面の広がりを探っているに過ぎないのであります。精神科学といいますと、いかにも奥深く探求してゆくようにみえますが、潜在意識層のことを説明するにしても、それは単に一人一人の人間の想念の世界の種々相を探求してゆくだけのものでありまして、精神というものの構成状態を、科学的に探求しているものではないのです。

また心霊科学という学問もありますが、これは学問というより、霊媒を使っての実験でありまして、まだ学問的体系がはっきり整ったものではありませんし、これとても、各人の精神や霊魂の在り方を探求し、説明してゆくだけでありまして、物質が分子や原子や電子で成り立っている、というような、はっきりした説明は出来ておりません。

ですから現在の段階で、学問的に一般の人が考える科学の分野にはっきり入っているものは、唯物的科学のほかはないことになります。現代の科学というものは、現象世界の物質や自然の状態を分析に分析していって、大自然の根源を探り当てようという学問であります。

精神科学といわれるものは物質科学で、物質は原子、微粒子、波動と、しだいに微妙な形になっているという、いわゆる波動説にまでたどりついてきた学問とはまた別に、精神波動、想念の在り方を、顕在意識、潜在意識というように分析して、原因結果を探り出して、病気の治療に応用しているわけでありますが、まだ確固とした学問体系になってはいないのです。

そこで、精神を肉体というものから一度離して考えて、肉体機能から生まれてくる精神という唯物科学の観念から離れて、しかも現在の精神科学のように、現象面での実証だけにとどまらない学問体系のある科学を生み出さなければ、どうしても精神と物質との調和した世界は作り上げられないと私は考えるのです。(つづく)

五井昌久著『光明をつかむ』より