虚栄心と権力欲というものが、いかに人間の世界をつまらない、嫌なものにしているかは、だれでもよく承知しているのでありますが、自分自身を顧(かえり)みて、自分には虚栄心や権力欲が少しもない、と言い切れる人はあまり数多くいないと思われます。
女性がみずからを美しく見せたいと思い、身なりや化粧にうきみをやつすのは、虚栄心にしても、まあ微笑ましいようなものですけれど、自分の心が立派でもないのに、言葉や態度だけ立派そうにみせて、自己反省が少しもなく、偉ぶっている人ほど、哀れな存在はありません。
まして、宗教の道を求めていながら、尊大ぶった態度で、いつも偉ぶっている。そして、想いは色欲や金銭欲にひきずり廻されている、というような人は、俗物以下の人というべきでしょう。
議員諸侯、区会から国会に至る数多の議員諸侯の中には立派で、真実に町や市や国のことを思って、献身的に働いておられる人たちもおられるでしょうが、どうも虚栄、虚色、権力欲に充ち充ちた雰囲気をそういう人たちの身辺から感じられるのは、一体どうしたことでしょう。
宗教者とか、政治家とか、学校の先生方というのは、一般民衆より、はるかに立派な人物でなければならないはずです。いやしくも、人々を指導する側にこの人々は立っているからです。
ところが実は反対で、一般民衆の一人として生活していた時は、善良で素直であったような人が、そういう立場に押し上げられてしまったような場合、いつの間にか、その人の心に虚栄や虚色や権力欲というものが湧き上がってきて、嫌な人間の一人となってしまうことが多いのです。(つづく)
五井昌久著『光明をつかむ』より