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一人の人間は神々の光の統合であるということについて

(前略)想ったところが自分なのです。だから無為にしてなせば、奥の奥のどこまでも行くわけです。それをたいがい自分というと、一人いるような気がするのですよね、ここに……。自分というのは一人だなんて、とんでもない話です。一人ではなくて、神々、あら...
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業想念を超えよう(後半)

(つづき)人間とは可笑しなもので、幸福を追い求める想いがあるから、自分を不幸だと想い、よく生きたいという想いがあるから、死にたい、という反対表現をする。幸福を求めながら、不幸だ不幸だと自己を不幸という想念の渦に巻き込んでゆき、生命をよりよく...
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業想念を超えよう(前半)

(前略)今、ここ大地の上に私という一人の人間が立っている。この一人の人間は、五月の青葉のさやぎに目を細め、大空からひびいてくる陽光(ひかり)の律動(リズム)に自己の想いを溶けこませて、生きていることの喜びを満喫している。陽光は有難い。青空は...
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神々の働きについて

今日は神界の働きと、これからの人間世界について、お話をしましょう。一体、神さまは一つなのか、たくさんあるのか、ということが初めに問題になります。キリスト教では天父といって、ただ一つの神をいい、仏教では仏といって神とはいわず、神道では八百萬神...
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すべては自己責任③(完)

(つづき)消えてゆく姿として現われて消えてしまい、光り輝いてしまえば、祖先が迷っているもへったくれもありませんよ。みんな輝いてしまいます。それで、一人出家すれば九族救われる、というのです。出家ということは、悟るという意味なんですよ。いわゆる...
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すべては自己責任②

(つづき)私は皆さんの苦しみを背負います。皆さんが苦しんでいる、悩んでいる。一緒に苦しんで悩んでいるように見えるけれども、私は苦しんでいませんよ。心はいつも澄んでいる。心はいつも明るい。それと同じように、自分が苦しんでいることは、自分の業な...
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すべては自己責任①

問祖先の因縁で自分が苦しむということはあるのでしょうか。答祖先が悪いことをして、それで子孫の自分が苦しむとは何事だ、私は祖先なんか知らん、という人もあるでしょうね。祖先の因縁で自分が苦しんでいる、という言い方が少しおかしいからね。祖先の因縁...
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無名は天地の始めなり⑤(完)

(つづき)そして、どちらも之を玄という。つまり、霊妙不可思議なる、あらゆる能力を含んだ実在、即ち神そのものであり、神の現われである、というのであります。その玄と老子がいっている、霊妙不可思議なる存在は、どこまでも深く、どこまでも広く、無限大...
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無名は天地の始めなり④

(つづき)この無名が、何々という名前をつけてきますと、これは無名ではなく、神そのものではなく、神の現われとしての存在となってくるのです。そして、霊的な微妙な波動としての存在から、次第に粗い波動の存在、つまり、物質的な現われに変化してくるので...
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無名は天地の始めなり③

(つづき)『無名は天地の始なり。有名は万物の母なり。』無名というのは、宇宙万物を創りなす根源の力、相対的な何もの何ごとも現れ出でぬ以前の、すべての働きの根源の創造力そのもののことであります。それは、相対に現われぬ根源の力であり、絶対なる生み...
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