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宇宙人との提携の経緯(後半)

(つづき)全想念を常に神(光)のほうに向けること、これが祈りなのであります。

そして私が唱えている世界平和の祈りとは、その祈りを祈ろうとする時にすでに、その人がどのような業想念をもっていようとも、その人の意(こころ)はもう世界人類という広い範囲にひろがってゆき、その広い範囲を手分けで守っておられる守護の神霊の光明の中に、知らぬ間に入ってしまうのです。

世界平和の祈りをしようとした時には、すでにその人は個我の想いの人ではなく、人類的な人、世界人類大に広がった人になっているので、世界人類大の守護神の光明を自らも受けることが出来るのであります。

そして世界人類大の光明を自らが受けたということは、自己の肉体という器を通して、また改めて肉体的世界人類に向かって光を放射している、ということにもなってくるのです。

これを簡単にいえば、世界平和の祈りは守護の神霊団体の結集した大光明なのだから、世界平和の祈りの中に自己の想いが入ってゆけば、自己の業想念はもちろん、世界人類の業想念(暗)をも消し去る偉大な力を発揮するのだ、ということになるのであります。

もともとこの世界は神のみ心によって現わされた世界なので、悪いことのあろう道理のない世界なので、悪いように見えるのは、神のみ心の未開発のところが悪や不幸のような”悪あがき”を見せて消えてゆく姿(開発されてゆく姿)なのであります。

こうした開発する仕事、神のみ光を放射する役目を、私たちは世界平和の祈りと消えてゆく姿の教えによって、日常茶飯事の間も行じつづけておるわけなのです。

こうした生き方が、神の子、光の子としての生き方と認められるのは当然でありまして、私どもの心の波はそのまま宇宙人の神霊的な光明波動と合致して、世界平和の祈りのグループを通しての宇宙人の地球人類援護という約束が成立したのであります。(おわり)

五井昌久著『人類の未来-物質文明より霊文化へ』より