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人間の本体の自由自在性について

(前略)人間の本体である光明体は、実に自由自在であって、如何ようなる波動も自由に発し得る身心なのであります。

身とか体とかいうと、すぐにもこの肉体身のような固定した体を想像しがちでありますが、光明体というのはそうしたものではなく、肉眼で見える範囲でいえば、太陽や星々のような、光がくるめいているといった、ああした体であります。

肉眼より微妙な眼で見れば、もっともっと形から自由になったものなのでありますが、これはこの世の言葉ではどうにも説明出来ません。仮に、太陽のようなものである、と説明しておきます。

その太陽のような光を、四方八方に放っているような光明体の人間が、真の人間なのですが、その光明波動を次第に物質波動に合わせてゆくと、この肉体身のような形に現われることが出来るのです。

宇宙人の出現などでも、そういうような微妙な波動を、物質波動的にして現われるわけです。

この光明体は、自由自在に自己の欲することが行なえるのであり、現わし得るのでありますが、この地球界に現われている、粗い波動になってしまっている肉体人間としては、まったく不自由な心身を嘆かざるを得なくなっているのです。

そこで、元の体のように自由自在になるためには、肉体にまつわるすべての想念を、光明身である自己の本体の中に還元してしまう方法を取るより仕方がないのであります。(中略)

座禅でも鎮魂でも祈りでも、すべては業想念を本源の世界、神のみ心の中に投入してしまう方法なのでありますから、いつでもどこでも容易に出来る、そうした方法があれば、それが一番よいわけなのであります。

それが私の提唱している世界平和の祈りなのであります。(後略)

五井昌久著『聖なる世界へ』より