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五井先生の父母にも勝る慈愛と天地を貫く大権威

(前略)五井先生に今生で私がご縁を得ていた期間は、一九六六年から一九八〇年までの十四年間でした。

その初めの七年は会員・信者として、また後の七年は、弟子としてお仕えすることが出来ました。その間、先生の指導により、人間は本来神である、ということを親しく拝見することが出来、またそれを体得させていただくことが出来ました。

振り返って考えてみると、初めの七年間は主として、神の父母にも勝る慈愛の有り難さを、後の七年間には主として、神の天地を貫く大権威の尊さを、実感させていただきました。

そして、初めの七年の記憶に残る先生のお顔は、常に優しくにこやかなお顔、後の七年の記憶に残る先生のお顔は、常に権威にあふれ、心の奥まで見通すような厳しいお顔でありました。当時のメモを読み返しても、その通りに書いてあります。

たとえば五井先生のところへ最後に報告にあがったのは、一九八〇年八月十四日でありました。

八月十三日は現在の富士聖地で、建築物の最終検査の日でした。なかなか建築許可がでなかったものが、ついに役所からの承認を得られたのです。そこでやっと最初の建物を建設し、建築会社からその引渡を受けることになり、関係者一同がほっとしたところでした。

その新しく建った道場(現在の別館)を、ポラロイドカメラで写した写真を持って、十四日に、先生のところへ報告に参ったわけです。そして、その写真をお浄めいただき、さらに、この道場の名称、道場代表者の任命、落成祝いの方法と関係招待客、昌美先生にお願いする道場落成式(八月二十七日)等を決定していただきました。

最後に先生から、「すぐに新しい井戸を掘るよう」との命令がありました。これも許可が年々むずかしくなっていることと、周辺農家が反対していること、などを申し上げますと、甘さなど一かけらもない声で、“絶対に掘る、という覚悟でやれ”と厳しく命ぜられたのであります。

とにかく道場がやっと完成したという、嬉しいニュースの日であったわけですが、その日のメモにはわざわざ赤ペンで、「先生は終始厳しいお顔であった」と記してありました。

後になってその日のことを思い出し、人事を尽くすということは、五つの井に至るトンネル(道)を、絶対に掘る、という覚悟で掘り抜け、ということか、とにかく道場が完成したという報告を、ご帰神前ぎりぎりに間に合わせることが出来たことだけはよかった、と思ったものです。

そして今年一九九六年、富士聖地に宇宙子科学絵図面が安置され、宇宙神の究極の光、人類即神也の宣言と印が降ろされて、祈りによる世界平和運動の中心は定まったのであります。(後略)

瀬木庸介著『宇宙から届いたマニュアル』より