(つづき)それから小さく見れば、根本は世界人類が平和になるための働きをするということなんですが、しかし、個々としてはいろんな職業があり、いろんな仕事に携わってるんですね。科学者は科学者の天命を完うする。実業家は実業の天命を完うする。主婦は主婦の天命を完うする。母親は母親の天命を完うする。そういう風に、個々には各自、天命が分かれているわけなんですね。
ところが、何が天命であるか、ハッキリわからないわけなんですね。それが自分の天命であるかないか、ハッキリわかっている人もあります。例えば、音楽家が音楽をやってると、「これが天命だ」と思っている。お医者さんが、「これは天命だ」と、大工さんが、「これが天命だ」という風に、いわゆる、自分が本当にその仕事が好きで、職と天命が一つになっている、天職と天命が一つになって生活している人があるわけです。(中略)
それから、「職は職だ」と、生活をやってゆくための方便として、「食べてゆくために仕方ないからやっている」とか、そういうのもありますね。そういう場合には、職業と天命を二つに分けて考えるといいと思うんですね。天命というのは、地球世界の完全平和を達成することが天命なんだ、と、その天命を果すために、家族を養うために、その仕事をやっているんだ、と、スッパリ割り切っちゃえばいいんですね。
地球人類の平和を達成するために働くのが天命を果すこと、それから、天命を果すために自分はサラリーマンになっているんだと、そういう風にハッキリ割り切りますとね、そうすると、どんなつまらない仕事であっても、ほんとはつまらない仕事なんてありませんけれどもね、自分がつまらない仕事だと思っていても、(その仕事に)意義が出てくるんですね。(中略)
ですから、゛天命は世界平和を実現することが天命だ!゛と思って、そのために自分を生かす手段として職業があるんだと思えば、職業を天職だと思えない人も、天命を果すことが出来るんです。(つづく)
五井先生のある日のお話しより