スポンサーリンク

天命と運命の違いについて(後半)

(つづき)その大きな天命を果すために、何べんも何べんも生まれ変わりがあって、消えてゆく姿をやるわけですね。

消えてゆく姿を相当やってこないと、本当に天命というものを果せないんですよ。

だから、肉体の50年80年というものだけでね、天命を果すという人もあるけれども、実は長~い長~いね、長~い年月をはかって、天命を果たしてゆくわけですね。

だからよくありますよ。自分はもう、口惜しいけれど、ちっとも面白くない。自分にちっともふさわしくない。自分は違う才能を持っているのにこういうことをしていて、一生もう60になり70になり、とうとう何も自分の思うままにならないまま死んでゆく人がありますよ。

それはちっとも天命を果していないんですね。それは業想念を果してゆく。消えてゆく姿で一生を送るわけですね。

ところが、世界平和の祈りをやっていると、業の消えてゆく姿もやるけれども、やると同時に天命を果してゆく、神のみ心を果してゆく平和の祈りの中に入っているわけですから、業を消しながら天命を果してゆくわけなんですよ。

だから、どんな職業についていても、どんな環境にあっても、世界平和の祈りをしていれば、天命を果してゆくんだ、ということになるんですね、わかりますでしょ。

だから、いつでも世界平和の祈りをしているということが、天命を果しているんだ。

どんな環境にあっても、自分はどんな病気であっても、どんな嫌な立場だろうと、どんな、例えば才能がなかろうと、頭が悪かろうと、そんなことは問題でなく、世界平和の祈りをしていれば、自分の想いが救世の大光明の中、神さまのみ心の中に入ってて、神さまのみ心を肉体、体を通して、地球界に送っているのが天命を果しているんだ、とお思いになって結構ですね。(後略)(おわり)

ある日の五井先生のお話し