スポンサーリンク

人が神として生きる時代の到来

私などははっきり自分を二つに分けていまして、神界に神としている”我”、いわゆる”五井先生”と、肉体界で皆さんの相手をしている”五井昌久”という、三十才位までのこの世の体験で出来ている想念意識としての場としてある自分。この二つの我を巧みに融合させ分離させて働いているのであります。

一人の神、霊、幽にまたがって輝いている五井先生は、権威と力をもって、一人の肉体の場にいる五井昌久は、明るく柔和で謙虚な思いやり深い人間として、皆さんに接しているわけです。そして、その両面共に自分であることがよくわかっているのです。誰でもそうなのですけれど、皆さんはその事実を知らないだけなのです。

人間は確かに神であり、神の子でもあります。そして同時に、動物性をもつ、弱肉強食的な生き方をする自分勝手な生き物でもあります。果たしてどちらの部分が強いかによって、その人の人格がわかるわけです。

この地球界は進化をつづけています。動物性から神性への人間の進化はたゆみなくつづけられ、今日では、神の智慧の流れによって、文明文化は非常な興隆をみているのであります。

ものをつくり出す智慧のほうは発達したのですが、本心を顕現するという、神のみ心の面では、まだまだ、神の子としてはるかに遠いところに人間はいるのです。

そこで今日からは、神のみ心をどれほど多く現わし得るか、という、神の子顕現の時代にいよいようつってきたのでありまして、嫌でも応でも、神の道を歩まねばならないことになるのであります。

その神の道を、私は消えてゆく姿で世界平和の祈りという方法で進んでゆこうとしているのであります。

五井昌久著『純朴の心』より