スポンサーリンク

真理にも把われぬ心を養おう

聖人は病(へい)あらず、其(そ)の病(へい)を病(や)むを以(もっ)て、是(これ)を以(もっ)て病(へい)あらず

このように聖人というもの、立派な人格者という者は、自己の心に欠点の起こらぬように、自己の心が病まぬように、常に本心の座(神性の心)に想いを入れているので、心が病むことはないのである、と老子は言っております。

ここでちょっと私自身として言いたいことは、この章のはじめの、知りて知らずとするは上なり、という謙虚な態度はまことに結構なのですが、この言葉に把われてしまいますと、いわなければならない立場の人が言わずじまいで、結果を悪くしてしまうこともあるのですから、言うべきときには言い、言わざるときには言わず、という、自然法爾的な無為から生まれてくる言葉や行為になることが必要なのであります。(中略)

要は、いかなる言葉も行為も、常に本心からあふれ出てくるもので、業想念の感情からするのではない、と確かに自分自身でわかるようにすることが、修行の要点であると思います。(後略)

五井昌久著『老子講義』より