問124
誕生と共に往生は祝事であると、お説きになっていますが、普通の人はそう考えません。どうして往生が祝事であるのか、ご説明ください。
答
往生とは読んで字の如く、生まれて往くということであり、生命があの世に往くことであります。
普通の人は、肉体の働きが停止してしまうと、人間の生命が滅びてしまった、無くなってしまったといい、それを死と名づけて恐れおののくわけでありますが、私たちのように心霊的知識や体験をもっているものは、肉体の働きが停止したことを、人間の消滅とはいわないのです。
どうしてそういわないかと申しますと、肉体の運動が止まったことと、生命が滅びてしまうこととはまったく異なるからであります。
と申すことは、肉体の死というものは、単に人間の本質である生命が、肉体内で働かなくなったことであり、生命そのもの、人間そのものが滅びてしまったことではなく、肉眼では見えない波動の世界で、引きつづき働きつづけ、生きつづけている事実を知っているからであります。
人間とはいつも申しますように、神の光、大生命の分けられたものであって、神界という自由自在には同を変ええる世界にも住み、霊界という微妙な波動の世界にも働き、幽界という波動の世界、肉体という粗い波動の世界で働いていることもあるのです。
しかし、普通の人間、いわゆる肉体人間は、人間の中で一番粗い雑な世界である”肉体界”だけしか知らず、その他の世界に人間が住んでいるということはわからないでいるのであります。
(つづく)
五井昌久著『宗教問答 (続)』より