(つづき)過去世の因縁は、この世で果たすようになっています。
殴ったやつは殴られる、与えたものは与えられる、奪ったものは奪われる、ということは当然なんですね。
だから、例えば今、悪い境遇に置かれて、自分がどんないいことをしても、人に与えても何しても誰にも感謝されないし、ちっとも人が返してくれないということがありますね。
「私はいいことばっかりしているんです。ですけど、ちっともいいことが巡ってこない」、とぼやく。
このぼやくことがもう悪いんですよ、本当は……。
「いいことをしました」、「やりました」なんて思っていることが、そもそもいいことじゃないんだ、本当はね。
そういう風に言うことだけではだめなんですよ。
”自分のやったこと、右の手のしたことを左の手に知らせるな”っていうんだからね、キリストは。
「自分はいいことをしました、こんなにいいことをしていますのに、私はどうして悪い境遇でしょう」なんていう、そういう心根が悪いのだね、第一番にね。
ろくなもんじゃない、そんなもん。
知らずにしなきゃ。
いいことなんか知らないでしているんですよ。
知らないうちにいいことしている。
それで、人がお礼を言って、「あぁ、あなた様にはずいぶんお世話になって……・」、「あぁ、そうでしたか」、それぐらいの奥ゆかしい方がいいんですね。
そしたら知らないうちに良くなる。
いいことをしてもいいことをしても、悪いっていうような運命の場合、その人が「私いいことしてる」って言わなくて、いいことをしている、陰徳を積んでいる。
しかし、いつまでたってもその人の生活環境が悪いって場合がありますね。
そういう場合には、過去世においてその人は、随分……・、まぁね、その……反対のことをしているわけなんですね。
わかりますか。
そのお返しを今しているわけです。
どんなに人の為に尽くしても、なかなかよくならなくても、ぼやくことはない。
今生でよくならなかったら、それこそ霊界へ行って、いーい所へ行きます。
前の悪いこと帳消しにするんだから。
だから、果たすべきものは果たさなきゃならない。
尽くすべきものは尽くさなきゃならない。(つづく)
五井先生のお話し 昭和37年4月