スポンサーリンク

信仰心のスタート地点を見つめなおそう

神と人間が一つになる道、これが宗教信仰であることには違いない。そして、神と人間が一体になると、その人の行為は、神のみ心そのものである、愛と真と美とを自ずと現わしてゆくようになる。

宗教信仰の道をたどってゆけば、必ずその人の心が愛深くなり、まことの心が強くなり、そして大らかな自由な心になるのだけれど、宗教団体に入っていて、一生懸命信仰に励んでいるようにみえる人々が、いつまでたっても、自分勝手のひとりよがりの想いをもっていて、狭い不自由な心でいたりするのである。

これは一体どういうことかというと、その人の宗教信仰に対する出発点が間違っているからなのである。どこが間違っているかというと、大愛であり、大智慧であり、自由自在な心である神のみ心のほうに自分のほうから登ってゆこうとするのではなくて、自己の現世利益や感情の満足のために、神を自己の方に引き下げようとする心を、自分に持っていての信仰だからなのである。

その信仰心は過去世からの業因縁の渦の中にすっぽり入ったままで、神を自己の方にひきよせて、悪業を善業に変化させて貰おうとしての信仰心なのである。そして自己の思うとおりのご利益がないと、「この神様は効き目がない」といって、その宗教信仰から抜けていってしまったりするのである。これでは宗教信仰の土台から間違っているのである。

宗教信仰というのは、あくまでも、自己の想念行為を、神のみ心である高い理念の中に昇華させてゆくためのものである。過去世からの業因縁につつまれた自己の想念行為を、神の大光明波動の中で浄めさっていただき、人間本来の光明体に還元してゆくことが、宗教信仰の本来の目的なのである。

こうして生まれてきたご利益こそ、真実のご利益であって、業想念の渦の中での損得などは、単なる消えてゆく姿に過ぎない。この真理を皆さんはしっかり知っていただいて、自分の不幸や病気や貧乏を、自己の想念の中に持っているままでよいから、世界人類が平和でありますように、という祈り言葉の中に入り込んでしまうことがよいのである。

世界人類が平和でありますように、という祈り言葉の中は、神と人間とが全く一つになった大光明波動に充ち充ちているのである。だから、日々瞬々刻々、世界平和の祈りをしてゆくことは、自己の現世利益の達成とともに、神のみ心との一体化がなされてゆくのであり、この地球世界の平和実現のためにも、大きな働きをなしてゆくのである。

五井昌久著『失望のない人生』より