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知りて知らずとするは上なり

知りて知らずとするは上(じょう)なり

知っていることでも知らないような態度で、人々に接することはなかなかむずかしいことです。

知っていることは、ひょっとした時につい言葉に出てしまったり、その態度に現われてしまうものなのですが、上等な立派な人というものは、学問も見識も高いものをもっていながら、人々の話をよく聞き、人々のやっていることに少しの口出しもせず、真面目な態度で見ていて、当然自分の方がその話の内容もその仕事の事柄も、大きくは宇宙観についても、話している人や、仕事をしている人たちよりも、ずっとよくわかっていながらも、わからないような態度で、素直にまともに、その人々に接している、というのであります。

これは出来そうで出来にくいことです。知っている事柄には、つい口出ししたくなるのが人情でして、つい自分の見識をみせてしまいがちです。

それを素直に真面目に聴聞したり、見聞したりしていて、その態度の中に、私は知っているのだが黙っているのだ、というような偉ぶった態度を少しも持たぬ、というのが上等な立派な人であるわけなのです。

五井昌久著『老子講義』より