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明治維新を顧みて(後半)

(つづき)今日は、その時代よりも、さらに重大な時代なのである。

明治維新の西郷や勝や山岡のような大人物の心を自己の生き方の鏡として、さらにその上にある世界人類すべての幸福のための、大きい広い生き方を、今日の私共はなし遂げてゆかねばならないのである。

今日の敵は(中略)永遠の生命観から離れた、その場その時だけの自己満足の想いに酔う心である。

その時々で敵をつくり味方をつくる。

その敵もその味方も、すべて自己保身のため、自国の利害損得を中心とした敵であり味方であって、天からみた正であり、義である道を進んでいるのではないのである。

天道には敵がない。

だから特に味方と呼ぶ必要もない。

ただ未だ光の射していないところに光明を放射してゆく行為が必要なのである。

光明の射さぬところを闇という。

闇の中では憎悪があり、敵があり、戦争がある。敵を認め戦争を認める想いは闇の中の生活から起る。

今日からの世界は、そうして闇の想念をすべて消し去らねば生れてこない。

闇の想念が消え去らねば、地球世界の未来は無いのだ。

西郷や勝の愛国心に加えて、人類愛という心が働かないと、地球の未来は破滅するより仕方のない時に今はきている。

明治維新の頃の(中略)西郷や勝のような私心のない動きこそ、今日の日本人には特に必要といえるのである。(おわり)

五井昌久著『神への郷愁』より