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和して同ぜず

(前略)一般大衆とともに一緒に同悲同喜する、大衆と同化しながら大衆を導いてゆく、という立場もあるわけです。私はそういう立場です。イエスさんもお釈迦さんもそういう立場でした。お釈迦さんでもいろいろな病気をしたり、痛みはあるわけです。ただ、どこ...
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世界平和の祈りは聖者の道

世界平和の祈りというのは、人類全般の天命を、個人個人の天命の道として実践する方法です。知らないうちに聖者の道を踏み行ってゆくというのが、この祈りの行なのです。五井昌久著『白光誌1973年8月号』より
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肉体は器であり場である

(前略)こうやってペンを取っている私と、私の中から種々とこの肉体の私に文章を書かせている私というものは、ひとつの私でありながら、実は一つでないことがあるのです。これは話をしている時などもそうですが、お浄めをしている時などは、まるっきり主と従...
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守護霊守護神を感じるには

(前略)一番かんたんに、守護霊守護神さんが自分の味方として感じるには、自分の体が大きくなっていると思えばいいのです。自分が五尺何寸としますと、その二周りも三周りも、周りを取り巻いて守っていて下さる、というように感じるのが一番いいと思います。...
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消えてゆく姿は赦しの言葉

(前略)消えてゆく姿というのは、赦しの言葉です。そのまま放っておけば、形の世界に100%出るものを、形の世界に出ない前に10%で済ませる。あるいは1%で済ませる。そういう方法が、消えてゆく姿で世界平和の祈りなのです。消えてゆく姿だけではない...
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過去世の縁で浄める

統一会をしていますと救世の大光明が輝いて、一人の肉体を通して、その人に縁のある所へ広まってゆくのです。皆さんは日本だけに生まれたわけではない。ヨーロッパにも生まれている。中国にもインドにも生まれている。何べんも方々に生まれ変わっているわけで...
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神の加護の願い方

守護霊守護神の加護というのは、自分の持てる力をフルに出して働けるようにさせて下さる。我が生命を生き生きと生かし給えというところに、神の加護を願うのが本当なのです。五井昌久著『白光誌1966年5月号』より
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皆さんは天御中主神

(前略)皆さんは天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)なんです。自分の体が高天原(たかまがはら)なんだ。天御中主神は、”からっぽ”ということ。(中略)もう悲しいことがあろうと、妬み心が起ころうと、自分はダメだなあと思おうと、ああ世界はダメだな...
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生命が光明化する生き方

白光の教義(人間と真実の生き方)のように、人間の苦しみは必ず消え去るものなのですが、シッカリと守護の神霊につかまって、平和の祈りを祈りつづけていれば、必ず人間の真の道が見出され、神の実態がはっきりとわかってくるのです。そこのところをよくよく...
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想念と行為に隙間がない生き方を

あれこれ想いわずらっての後に行為に移すというのが、肉体人間の今日までの在り方でありますが、実は神の子の人間というものは、本心本体からのひびき、つまり神のみ心のひびきがその瞬間瞬間の行為となって現われてくるもので、想念と行為とが離れてあるもの...
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